うからうから

作者不詳

うからうからと 月日経つのに
梨の礫の沙汰無しは
闇じゃ闇じゃと待つうちに
お月さまちょいと出て南無三宝
蕎麦屋さん何刻じゃ ひけじゃえ

文政7年(1824)名古屋に流行した上方小唄を江戸端唄化したもので、原唄は “逢いた見たさに親の目顔をくぐりくぐり忍んで、闇じゃ闇じゃと待つうちに(下略)” という江戸端唄で、これを江戸小唄に移すときに「うからうから」という歌詞に変えたものである。
「うからうから」はうかうかとの意で、男は今日は便りがあるか、明日は合図があるかと待つが、五月雨のこの頃は花魁の便りは梨の礫の沙汰無しなので、「ああこの世は闇だ闇だ。」と月日ばかり経つのに堪りかねた男は、五月闇の夜時間を見計らって、頬冠りに顔を包んで、廓に入りこみ女のいる家の四,五軒も手前から、軒づたいに忍びより、「まだ見世を張っているか、それとも客がついて座敷へ引けたか、ああ逢いたい逢いたい」と思い思い一足二足進むうち、それまで雲に隠れていた月が、雲を離れて横丁まで真昼のようにパッと明るくなってしまった。
「南無三、しまった。誰かに見つかったか」と軒下にへばりつく途端、「うどんやそばうーい」という声。てれ臭さに「何刻だね、蕎麦屋さん」と声をかけると、蕎麦屋は間延びした声で「四つじゃ、ひけじゃェ」と答える所がこの唄の終わりである。
「引け」とは吉原言葉で四つ(午後十時)のことで、遊女が本見世を下る時間をいい、十二時は「中びけ」午前二時が「大びけ」で廓内一軒残らず大戸を下ろすことになっている。
(現在この言葉は兜町の株式取引所の専用語としてのこっている。)
この小唄、ほんとうに江戸小唄らしい味をもった小唄の一つである。
「註」 梨の礫=梨は無しということで、返事が無い時に使う江戸の俗語。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です