秋の野に出て

秋の野に出て 七草みれば
ああさんやれ 
露で小褄が濡れかかる
サアよしてもくんな鬼薊

​江戸時代には、初秋の七月の末頃「虫聞き」「七草見物」と称して、秋の夜を郊外に出る風流な人々があった。
その人々の褄の先まで、秋の露が濡れかかるのは、何とも言えぬ風情があって良い物であった。
萩やすすきの上から、ゆらめき落ちる白露の可憐な美しさ、まして風の吹き渡る秋の野にあの草からもこの草からも、白露のこぼれる様は、本当に玉が散り乱れるような美しさである。
白玉(真珠)を愛することの特に強かった平安朝の歌人は、
「白露に風の吹きしく秋の野は貫きとめぬ玉ぞ散りける」
と、その露の玉を緒でつなぎ止めたいとさえ思い、又一人は
「袖にふれ露こぼれけり秋の野は捲り手にてぞ行くべかりける」
と、詠んだのである。
江戸時代の風流人もこの感懐をもってはいたが、鬼薊の棘が裾にからみつくのを「サアよしてもくんな」と唄うような所が、平安朝の歌人と違ったイキである。

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